【クリエイターズメモ】本当に遊びたいゲームとは

「ゲーム」という言葉を聞いて、どんなものを思い浮かべるだろうか。トラタヌのような人が実際に集まって遊ぶカードゲーム、将棋やチェスなどの定番ボードゲーム。テレビゲーム、携帯機などによるデジタルゲーム。最近だとスマートフォンで遊ぶアプリゲームも人気だ。他にも、例えば「しりとり」のような言葉遊びもゲームだし、スポーツもゲームと言ってよい。

私は小学生、いや幼稚園の頃からずっとゲームに魅了されてきた。いわゆるテレビゲームからはじまって、友人と集まって遊ぶカードゲームやボードゲームも好きで、ジャンルも問わず遊んできた。ゲームの内容やグラフィック、テーマに好みはあれど、ある要素を大事にしている。それはどれだけ長く楽しく目的を持って遊べるかという「やり込み」要素だ。これは当時から変わっていない。

例えばRPGならどれだけアイテムを集められるか、キャラクターのレベルを上げられるか、アクションゲームやシューティングならどれだけスコアを上げられるか、といったものが「やり込み」として挙げられる。ゲームの作り手側が用意した全てを見たい、提供してくれた以上に遊び尽くしたいという思いでゲームを遊んできた。

そんな中で、特に面白いと感じてくり返し遊んだのは「ローグライク」というジャンルのゲームである。「ローグ」といわれるコンピュータRPGから派生したジャンルで、PCゲームだけでなく「不思議のダンジョン」シリーズなど据置機や携帯機のゲームとしても登場した。

「ローグライク」の主な特徴は、ランダムに生成されるダンジョンに潜って武器や食糧、拾ったアイテムを駆使しながら最下層のゴールを目指すというもの。一般的なRPGとの大きな違いは、キャラクターが倒されたらそこで終了で、ゲームが初めからになってしまうという点だ。レベルアップしていても、アイテムをたくさん持っていても、そのデータは消えてしまう。なかなかシビアなルールのゲームである。

全体を通してランダムの要素が強いゲームなので、どれだけキャラクターを強くしても、強い武器を揃えていても、ひとつの判断ミスで負けてしまうことがある。判断ミスが無くても(無いと思い込んでいるだけかもしれないが)理不尽なゲームオーバーさえある。そしてプレイヤーは気づかされる。レベルを上げなければならないのはゲームの中のキャラクターではない、遊んでいる自分自身なのだ、と。

上達する喜び、もっといえば成長する喜び、これは人間にとって大事なものだし多くの人が感じたいものだろう。日常の中にも成長する喜びは溢れているが、目標があって楽しみながら行えるという点において、特にゲームは上達・成長を感じやすい。

ローグライクをはじめとするたくさんのゲームを遊んできた中で、自分の「やり込み」の中に「プレイヤー自身の成長」という大きなテーマが加わった。そして、この要素を強く感じられるゲームこそが、くり返しプレイしたくなる本当に遊びたいゲームだと確信した。

自分が作り手となった現在、プレイヤーの成長という要素が加わった「やり込み」こそ最高のゲームの魅力であり、それを体現できるゲームを作るということを意識している

トラタヌは その条件を大いに満たしていると思う。くり返し遊べるランダム性、たくさんの種類の動物とどんどん増えるプラスカードというコレクション要素、具体的な数値が出るためハイスコアを目指せるという点、そして何より他のプレイヤーとのリアルなやり取りの中で上達していく喜びを得られるというころは、アナログゲームならではだろう。

先述したようにゲームは成長の喜びを感じやすいツールである。同時に、目的や勝敗といったゲームのわかりやすい部分だけに縛られてしまうと、成長するということを忘れてしまうことも多い。

例えば、手軽にスマホで遊べる「暇つぶし」のゲームで何を得られるだろうか。作り手側が「暇つぶし」をさせようと作ったゲームである以上、ただ時間を潰す作業になるのは当然だ。

いわゆるガチャを引くような「基本無料」アプリゲームや、最近のソーシャルゲームはどうだろう。スタミナが無くなるまで作業のくり返し、その時間を短縮するための課金、リアルなお金をより費やしたプレイヤーの「データ」だけが成長していく。

自分は何のためにゲームをしているのか、改めて自らに問うてみてほしい。現実逃避、虚栄心を満たしたいだけ、流行にのっているだけ…こんな理由でゲームをしてはいないだろうか。

定番のアプリゲームにも面白いものはたくさんあって、たくさんの人々を楽しませているのも事実だ。また、手軽なゲームがヒットしているのも、現代の人々の生活スタイルやスキマ時間に上手くハマったのも間違いない。だが「作り手側が儲かる定番パターン」をモデルにしただけの工夫のないゲームが、これからの世界のゲームにおける主流であってほしくはない。

無料で、手軽に、たくさんのゲームを選んで遊べる今の時代。遊ぶ側も、作る側も、たかがゲームと思っていてはどちらの熱量も下がっていく一方だ。私はゲームが好きだからこそ、本当に遊びたいゲームを自分で作っていくという選択をした。こんな考えを持ったのも、ゲームによって私が成長したからである。

ゲームにおけるプレイヤーの成長は、作り手のこだわりが詰め込まれた「やり込み」要素たっぷりのゲームと、全力で悩んだり楽しんだりできるプレイヤーとの化学反応だ。くり返し遊ぶことで、単純に「ゲームで勝てるようになった=成長した」ではなく、考え方そのものであったり、その先の、もっと人間的な何かが育ってゆく。ゲームにはそんな力がある。

ゲームをやったことがない人も、ゲームが苦手な人も、暇つぶしで満足している人も、ぜひ一度トラタヌを一緒に遊んでみてほしい。自分の成長を感じたとき、きっとゲームの可能性に気づくだろう。

Y.Kurosawa