【クリエイターズメモ】トラタヌと私

トラタヌの発売が決まり、体験会や予約販売などトラタヌが遂に動き出してきた。この機会に、トラタヌと自分自身のここまでとこれからについてお話ししたい。

 

トラタヌは自分にとって初めて「世の中に出て行く」ゲームとなる。

私は子供の頃からゲームが好きで、アナログ・デジタル問わずたくさんのゲームを遊んできた。ゲームを作るということも好きだった。ひとりでカードゲームを作ったり、PCのソフトでRPGを作ったり、友人たちとボードゲームを作って朝から晩まで遊んでいたこともあった。特に、自分で描いたグラフィックで、自分の考えたルールで遊ぶことにこだわりや喜びを感じていた。全て自分でやる、それは何より自分が満足するためである。だから完成したゲームは身近な人たちと遊んで、自分が楽しめたらそれで良かった。「ゲームを作って売る」なんて考え出したのも最近で、今までは自分のゲームを不特定多数に遊んでもらいたいとは思っていなかった。

この傾向はゲームだけではなく、自分の作ったもの全て、さらには自分自身にも当てはまることだった。私は小学生の頃から、何かを作ったり、絵を描いたり、勉強もそれなりに得意で、「どうすれば周囲に褒められるか、喜ばれるか、すごいと言ってもらえるか」を子供なりに理解した。その日々が続いた結果、随分早い段階で周囲の人や物に対する関心は薄れ、興味の対象は自分自身になった。何かを作ることは好きだったが、自分の作品を誰かに見せたいとか、そのことで誰かに認められたいとか、そういった感情は次第に失われていった。「自分が満足するものを自分のためだけに作りたい」、それを突き詰めてゆくことが自分のモノ作りの全てだった。

 

大学では就職活動を行わずに絵を描いて過ごした。卒業後はもちろんどこかに就職することもなく、現在住んでいる札幌へと引っ越してきた。「自分は何かを作って生きていくんだ」という確信はあるものの、いまいちそれが広がってゆくビジョンが見えないまま暮らしていた中で、2017年の春にトラタヌの原案が完成した。トラタヌ発売元であり私が所属するT.K.Creatorsの2人には、当時からテストプレイに何度も何度も付き合ってもらっており、トラタヌの発売も2人から提案してもらった。だが、トラタヌも自分が楽しめるものを作りたくて作っただけであり、世の中に出すというイメージが全く浮かんでこなかった。それでも、「トラタヌは世界で遊んでもらえるゲームだ」と言いながら、私以上に楽しそうに遊ぶ2人のハンターを見て、トラタヌをリリースする決意が次第に湧いてきた。

こうしてゲームの調整は順調に進み、2017年中には発売ができるというところにまで到達。しかし、世界で遊んでもらうゲームとしてのイメージはできないままだった。そこで、トラタヌとは私にとって何なのかを改めて考えた。

 

トラタヌは私の生き様そのものだ、と思った。

トラタヌだけでなく今まで自分が作ったものは全て、自分自身をうつしたものだと気がついた。自分にとっての楽しいこと、見てきたり感じたりしたこと、自分自身の熱意やズルさまで、自分の価値観でしっかりとうつし出されている。他人の評価や意見で揺らぐものではなく、自分が最高に満足できるものを作っている私だからこそ言えることだ。そう思ったら、現在のトラタヌに自分が最高に満足していないということにも気がついた。そこから約半年、カードの動物たちの絵を自分が満足するまで全て描き直し、ゲームバランスに満足するまでテストプレイを繰り返した。そしてやっと、発売することに納得がいく状態にまで、トラタヌを成長させることができたのだ。

私はクリエイターとして、トラタヌを楽しめるゲームとして作り上げた。しかし、トラタヌを「商品」として見たときには、多くの方に買ってもらったり、それを運営して仕事として成り立たせたりといったことまで考えなければならない。私の今の能力ではその全てをこなすのは難しいが、必ず他の仲間がサポートしてくれる。だからこそ、トラタヌが私一人の力ではなく他者の力を借りて世界に出てゆき、広がってゆく様を見てみたくなった。

 

こうして、トラタヌは自分にとって初めて「世の中に出て行く」ゲームとなった。

それは、私自身が初めて「世の中に出て行く」ということだ。自分が一番に楽しめるものを作ることが「全て」だったが、これからは「基盤」となってゆくのだ。自分だけを見つめてきた二十数年を経てきたからこそ、次はさらに広い視野でモノ作りができるはずだ。

トラタヌを通じて周囲を巻き込みながら、クリエイターとして、ひとりの人間として、自分自身がこれからどのように成長して面白くなってゆくのか、それが楽しみだ。

 

2018-7-19   Y.Kurosawa